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2020年06月29日(月)
額田観光ルートの課題
コロナ問題の中、観光ルートに注目というより、静かに目を向けてみてはいかがか。額田城跡というと城の内地区に目が行ってしまうが、11の丸を誇る額田の曲輪は大きい。面積だけ言えば、大阪城や名古屋城にも匹敵する大きさだ。東京ドームの21.5倍は驚くほどの面積である。なかには、歴史と伝統ある額田小学校がある。2代目校長は野口雨情の伯父野口勝一氏である。幸久橋の命名者である。そして、鈴木御殿こと鈴木家住宅がある。水戸光圀が娘を訪ねてしばしばおとずれている。この鈴木家住宅のかやぶきの屋根がビニールシートで覆われている。県の指定文化財なのにね。このままでは案内もできない。西側の外堀を竹がおおい、大内さん親子が伐採に立ち上がった。日曜の暇を見て整備に入った。行政の立場から何とかならないだろうか。額田城跡ルートの最後に残された外堀なのだ。
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