額田の偉人 秋山みよ 日本赤十字社発行 『百年のあゆみ』より
秋山みよ(日本赤十字社本部病院看護婦長)那珂郡額田村額田東郷11番地に生まれる。
明治22年7月26日
明治41年4月救護看護婦生徒として日本赤十字社本部病院養成所に入所し44年3月卒業した。同年4月に本社救護看護婦として採用され本部勤務を命じられた。
大正7年3月に病院における諸勤務に従事し、看護業務の成績良好であったためナイチンゲール石黒記念牌を授与された。大正9年勤務成績優秀、部下統卒のの才能を認められ看護婦長に抜擢された。同年10月14日から12月にわたって本社東部シベリア派遣臨時救護班看護婦長として、酷寒の地にあって、傷病兵の救援に従事しその功績によって、大正11年に陸軍省から金100円を授与された。その当時の100円は家が建てられたという。昭和3年、本社の社業に尽力された功績により、特別社員に推薦された。昭和5年伊豆地方大震災に派遣され1カ月にわたり活動、昭和12年の日華事変で茨城支部に招集され看護婦長として陸軍病院志水部隊に従軍、砲弾の雨の中傷病兵を担架で運び烈風激浪をくぐり、困難な海上看護に1年3カ月の間、勤務した。熱心に勤務し、抜群の部下統卒の才能は万人の認めるところ、人格円満につき多くの人々から尊敬され、たと言われる。秋山家の墓は本米崎松原上宮寺にある。
額田ゆかりの先人たちは引接寺やびる遮那寺、上宮寺にそれぞれ眠っています。
額田で私塾を開いた人、絵画で有名な人、東大で講義をした人。ナイチンゲール賞をとった人。長唄で有名な人、多岐にわたる分野で活躍しました。