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2019年09月07日(土)

曲がり家文化 観光ボランティアガイド那珂

曲がり家の文化 小田部一彦
 商工観光課や市民課からの要請で曲がり家への案内、オークリッジからの中学生が来たり、白鳥のシーズンに合わせ、多くの小学校が曲がり家見学にやってくる。那珂市役所の向かい側に移築された『古民家』曲がり家は建築が1862年であるから、150年を超えている。1680年が桜田門外の変であることからもその時代背景を考えるとき思いも複雑である。その8年後明治維新となるわけで、その古民家の歴史に更に重いものを感ずるのでもある。アメリカでは、1860年にリンカーンが大統領に就任し、古民家の建った1862年はリンカーンによる奴隷解放宣言である。身分制度の上で大きな変革をもたらした。日本においても明治維新となり、士農工商という身分制度がなくなっている。古民家の定義は築50年を経過している建物であることをもってしてもまさしく曲がり家は古民家でもある。
現在の暮らしぶりと比較するとき、電気、ガス、水道が暮らしの中にないということである。それと木の文化があったことである。洗面器や風呂、洗濯板、米櫃と皆、木で作られていた。また、竹を利用してきた。ざるや篭で器ものが作られた。自然の植物で家が作られた。藁ぶきやかやぶき、檜皮葺きといったように屋根のつくりもちがった。そして、動力がないから、家畜に頼った。運送形態が異なる。馬車や耕作用具も牛や馬に頼ったことである。馬坂があったり馬力神があったりである。それと火である。電気がない時の火の存在の大きさである。灯りと暖、そして煮る、沸かすという炊事には欠くことのできないものであった。通信でさえ、烽火と言って煙を使った時代もあったのである。こうしてみると、いかに。この150年の間に文明の発達、進化は大きく暮らしぶりを変えてきたのがわかる。かまどやへっついという台所にかかせないイメージ、囲炉裏の暖かさの雰囲気は家族という大所帯のイメージに繋がっていく。囲炉裏に鍋が鍵つるしにつるされ、その下で燃えるすぎっぱや薪は幼いころの暖かい思い出でもある。コンクリートじゃなくて土の瘤のあるような土間、これがかまどや囲炉裏と調和する空間であった。
 曲がり屋の道具は使い古されているが時代を乗り越えてきた。まさしく道具なのである。唐傘、下駄、竿秤、篭、目開、ざる、水がめ、手水鉢、箕、とうみ、じゅうのう、炭火アイロン、あんか、弁慶などである。最後に弁慶について触れておこう。何年か前までその存在はわかっていても、呼び名まではわからなかった。むぎわらを結束し、アユ等の魚を竹の串にさし、燻製にする囲炉裏にぶらさがっているもの。ちょうどその有様が弁慶の胴に矢が何本も突き刺さった状態を連想し、弁慶と呼ばれたという。
 ウェルカム サンキュウ フォー カミングのあいさつ、ストローレインケープ、侍ジャパンヘルメット、何を言ってるのかな。みのと兜の説明である。それでもわかるから面白い。