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2016年03月08日(火)
三月三日と桜田門外の変と那珂市との関わり
那珂市からも桜田門外の変に参加した浪士が2人います。静神社と三島神社の宮司です。水戸藩への迷惑が及ぶことを考えて脱藩という手段をとり、事に及びました。それぞれ、斎藤監物と
海後 磋磯之介 で
3月3日は雛の節句にあたり、必ず大老井伊直弼が登城すると睨んだからでした。これが幕府崩壊の引き金になっていったわけです
斎藤監物
静神社神官(一八二二〜一八六〇)名は一徳、号は文里。加倉井砂山や藤田東湖に学び、水戸藩徳川斉昭の藩政改革に協力した。弘化元年(一八四四)、斉昭が 幕府から隠居謹慎の処罰を受けると、神官等を率いて雪冤運動に奔走した。安政五年(一八五八)、大老井伊直弼による安政の大獄が起こり、斉昭は再び謹慎を 命じられた。監物ら水戸浪士は慎激し、井伊大老襲撃を計画して、万延元年(一八六〇)三月三日、桜田門外に井伊大老を襲撃した。監物は重傷をおして脇坂邸 に訴状を呈し、細川邸に預けられたが三月八日歿した。三九歳。辞世「君がためつもるおもひも天つ日にとけてうれしき今朝の淡雪」
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斎藤監物