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2018年06月06日(水)
額田藩 梅乃家
額田には、店名に「額田藩」を冠した食事処がある。
「額田藩梅乃家」である。
店内には、かつて茨城新聞に掲載された写真入りの記事が、高校の先輩方の手によって飾られている。
このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として、地元の観光資源を宣伝すべく新商品「額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメン」を開発した。
江戸時代、額田藩の当主は徳川光圀の弟である松平頼元であり、光圀も額田に隠居ならぬ書院を構えた。これが県指定文化財鈴木家住宅『鈴木御殿』である。
光圀といえば「水戸藩らーめん」としてラーメンが有名だが、水戸に6カ月しか滞在していなかったことが分かっている。一方、隠居したその後の10年は、常陸太田の西山荘にいて、娘の嫁ぎ先である額田の鈴木家(=鈴木家住宅)との間を往来していたという史実がある。そこから梅乃家として額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメンを開発したとのことだ。額田藩ラーメンは、地元大子の奥久慈軍鶏(しゃも)と麺は、やはり地元常陸大宮で作られたものを使っている。
また、340年間続いた額田城に因み「額田城ランチ」も開発した。大子産の米、那珂かぼちゃ等四季折々の地元の野菜がふんだんに使われている。涸沼産のうなぎによる「額田藩うな重」も茨城の産物と地元の歴史紹介に大きく貢献している。
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「額田藩梅乃家」である。
店内には、かつて茨城新聞に掲載された写真入りの記事が、高校の先輩方の手によって飾られている。
このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として、地元の観光資源を宣伝すべく新商品「額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメン」を開発した。
江戸時代、額田藩の当主は徳川光圀の弟である松平頼元であり、光圀も額田に隠居ならぬ書院を構えた。これが県指定文化財鈴木家住宅『鈴木御殿』である。
光圀といえば「水戸藩らーめん」としてラーメンが有名だが、水戸に6カ月しか滞在していなかったことが分かっている。一方、隠居したその後の10年は、常陸太田の西山荘にいて、娘の嫁ぎ先である額田の鈴木家(=鈴木家住宅)との間を往来していたという史実がある。そこから梅乃家として額田藩しゃも(軍鶏)がらラーメンを開発したとのことだ。額田藩ラーメンは、地元大子の奥久慈軍鶏(しゃも)と麺は、やはり地元常陸大宮で作られたものを使っている。
また、340年間続いた額田城に因み「額田城ランチ」も開発した。大子産の米、那珂かぼちゃ等四季折々の地元の野菜がふんだんに使われている。涸沼産のうなぎによる「額田藩うな重」も茨城の産物と地元の歴史紹介に大きく貢献している。