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2019年07月21日(日)
佐竹時代の棚倉街道と寺
棚倉街道は1249年に初代佐竹義直の時代どうだっただろうか。高岡から鱗勝院のある近辺が額田城だとすると、高岡から小堤に上がり、三軒ちょうを通り、古宿番場の八幡社を通り、舟渡へ行き、久慈川を渡った。寺は観音寺、遮那寺、天神様があった程度だったと思われ、天台、真言、修験の寺があった程度ではない。のちに鎌倉仏教が続々とできるが、それは小野崎氏の時代になってからだろう。佐竹時代は山の神に対する信仰は民間信仰の中でも最も一般的ものとして古くからあった。山の神は春に農作が始まるころ、山から里に降りて、田の神になり、秋の農事が終わると山に帰ると信じられてた。常陸五山の山岳信仰と修験道が結びつき、中世に入ると武士庶民が進んで山伏の先達について行を積むことが盛んになり自然の山や滝が信仰の対象となった。神仏混交の時代ではなかったか。
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