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2019年07月15日(月)
観光客目当て 梅乃家改名 額田藩梅乃家
梅乃家 このほど額田藩の存在がクローズアップされてきたことを契機として地元の観光原資を宣伝すべく商品開発をしてきた。額田藩の当主が徳川光圀の弟である松平頼元であることから光圀も額田に隠居ならぬ書院を構えた。これが県指定文化財鈴木家住宅『鈴木御殿』である。水戸藩らーめんとしてラーメンが有名だが水戸に6カ月しか滞在していないことをもってすれば隠居した10年は常陸太田の西山荘にいて娘の嫁ぎ先である額田の鈴木家との往来している史実がある。そこから梅乃家として額田藩しゃもがらーラーメンを開発した。また、340年にわたる額田城にちなみ額田城ランチも開発した。額田藩ラーメンのしゃもは地元産大子のしゃも、大宮のらーめんを使っている。額田城ランチはやはり大子産の米、那珂かぼちゃ等四季折々の地元の産の野菜を付け加えている。涸沼産のうなぎによる額田藩うな重も茨城の産物と地元の歴史紹介に大きく貢献している.
新しい商品開発し、このほど店名も額田藩梅の家と改名した。
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新しい商品開発し、このほど店名も額田藩梅の家と改名した。